インドの旅行予約プラットフォーム ixigo が、混雑したビーチに集まる旅行者の頭を羊に差し替えた動画を公開した。デートラインはグルガオン、最初に報じられたのは9月24日で、締めのコピーは「Don’t follow the herd」の一行だけ。羊の頭をした男性がixigoアプリを開き、AIアシスタントTARAに話しかけると、顔が人間に戻り、人のいない海辺へ歩いていく。インド向けにブランド動画を作る日本企業が見るべき点は、AI機能の説明量ではなく、この1本が「客のどの気まずさを起点にするか」を先に決めていることにある。
舞台は賑わうビーチで、休暇中の旅行者たちが羊の頭で登場する。全員が同じ目的地へ流れ込み、混み合った海岸線と満席のビーチサイドのカフェを行き来する。そこで1人がアプリを開いてTARAと会話し、静かな海辺へ移動しながら羊の姿が人間に戻る。
ここで押さえておきたいのは、映像がAIの便利さを列挙していないという点ではなく、機能の露出位置を1箇所に絞ったという点である。ixigo側の説明では、TARAは会話型の旅行アシスタントとして、目的地・観光対象・宿・体験を利用者の好みから見つける役割を担うと位置づけられている。機能の話は消えていない。映像の中で機能が動くのは「羊が人に戻る」瞬間だけに集約されている。
この施策は9月24日付で伝えられ、翌25日にCampaign India、26日にMedianews4uが記事を出している。インドの広告関連メディアは同じ発表を数日かけて順に扱うため、日本側で「いつの施策か」を社内共有するときは、最も早い日付を基準に置くほうが齟齬が出ない。
なお、筆者が読めた2本の発表記事には、制作を担った代理店・プロダクションのクレジットと出演者名が載っていない。制作体制が社内か外注かはここでは判断を保留しておく。
ixigoは8月13日、独立記念日に合わせて『Iss desh mein rakha dekha kya hai?』というラップ動画を出している。アジャンター石窟群、ハンピ、カッチの塩の砂漠、ヒマラヤ、滝、海岸線を高速でつなぐ構成で、企画と制作は社内で完結させたと報じられた。AIは映像表現の道具として使い、歌と絵は実在の目的地に紐づけたという説明も付く。狙いはZ世代で、「有名観光地の消化ではなく、知られていない土地へ」という主旨だ。
9月の羊の映像は、この主旨を人称と装置を替えて言い直したものに読める。8月は音楽で若年層を引っ張り、9月は自嘲的な比喩で「群れている自分」を見せた。音楽を起点に若年層へ届ける設計は、ネスカフェ インドがSpotifyと組んで1曲を公開した事例と重なるが、ixigoの場合は同じテーマを2ヶ月間隔で別の手口に載せ替えている点が違う。単発の話題作りではなく、季節をまたいだ言い換えの連打になっている。
TARAは9月に生まれた機能ではない。自社イベント「ixigo NEXT」でアプリをAIネイティブ版に刷新したと発表され、検索フィルタ中心の操作から会話・エージェント型の操作へ寄せた。報じられたのは5月16日で、アプリの配信もその日から始まっている(イベント自体の開催日は記事に書かれていない)。TARAは音声・テキスト・タップの3通りで、英語・ヒンディー語・ヒングリッシュに対応する。予約後の追跡、キャンセル、返金処理、ターミナル変更の通知まで扱い、搭乗券や手荷物受取のベルト番号をまとめる「Trip Mode」も同時に加わった。共同創業者のラジニーシュ・クマール氏とアローク・バジパイ氏は、旅行者の不安を減らす製品づくりの延長にAIネイティブ化を置くという趣旨の共同声明を出している。
つまり9月の映像は、5月に土台を作り、8月に主旨を試し、9月に比喩で刺すという3段構えの3段目にあたる。機能を作った月に大きな広告を打たず、4ヶ月置いてから感情側の1本を出している。
| 時期 | 施策 | 発表記事に記載のある中身 | 表に出た人 |
|---|---|---|---|
| 2026年5月(報道は5月16日) | アプリをAIネイティブ版に刷新(ixigo NEXT) | TARAが音声・テキスト・タップに対応。英語・ヒンディー語・ヒングリッシュ。「Trip Mode」追加 | 共同創業者 ラジニーシュ・クマール氏/アローク・バジパイ氏 |
| 2026年8月13日 | 独立記念日のラップ動画『Iss desh mein rakha dekha kya hai?』 | アジャンター石窟群・ハンピ・カッチなどを高速編集。企画・制作は社内。対象はZ世代 | グループSVP アメヤ・ヴェランカル氏 |
| 2026年9月24日 | 「Don’t follow the herd」動画 | 混雑ビーチの旅行者を羊の頭で描写。TARAに話しかけた1人が人の顔に戻る | グループSVP(マーケティング&PR) アメヤ・ヴェランカル氏 |
2本の発表記事でコメントしているのは、いずれもグループSVPのアメヤ・ヴェランカル氏である。9月の発言は「みんなが行くから、という理由で旅先を選んだ経験は誰にでもある」「羊は、群れに選択を委ねてしまう頻度への軽い皮肉」という趣旨で、TARAの役割を「旅で本当に欲しいものから出発できるようにすること」と説明している。8月は「若く、元気があり、インドらしい形式」で国の多様性を捉えたかったという主旨だった。同一人物が2ヶ月続けて同じ主題を語っている。
ここで気をつけたいのは、この発言はあくまで1人のマーケティング責任者の見立てであり、インドの旅行市場全体の方針ではない。羊の映像を「インド市場がAI広告で機能訴求をやめた証拠」として社内資料に書けば、主体のすり替えになる。
羊の映像が成立しているのは、「みんなが行く場所を選んだ自分」という感情が、インドの都市部の旅行者に説明なしで通じるからだ。日本企業がインド向けに映像を作るときは、機能の訳語づくりより先に、自社の客がどの場面で決まり悪さを感じるかを1つだけ選び、その場面を1カットで見せられるかを検証したほうが早い。
祭事期の買い物を捜査劇に置き換え、役を3つに分けたタタCLiQ Luxuryの事例と比べると、ixigoは登場人物を「群れ」と「抜けた1人」の2種類に圧縮している。見せたい行動が1つなら人物も絞るという話だが、機能が多い製品ほど人物と機能が同時に増えて散る。
TARAが英語・ヒンディー語・ヒングリッシュを扱うと明示している点は、映像より実務に効く。会話型のインターフェースを日本から持ち込む場合、ヒングリッシュ(英語とヒンディー語の混在)の入力をどう受けるかを後工程に回すと、映像で作った期待値に製品が追いつかない。
感情から入る映像は同じ週のインド広告にも出ている。娘の日に母娘の関係だけを描いたクリニックプラスの映像は、製品機能をほぼ語らない構成だ。ixigoの羊はそこに機能を1点だけ差し込み、感情の映像と機能の映像を分けずに露出を1秒へ圧縮している。
| 見るところ | 通っている状態 | 落ちている状態 |
|---|---|---|
| 感情の起点 | 客が決まり悪さを感じる場面が1つに絞られている | 便益が3つ以上並び、どれが主役か決まっていない |
| 機能の露出 | 機能が動くカットが1箇所にまとまっている | 機能名と画面キャプチャが全編に散っている |
| 言語の受け皿 | 映像で示した会話を製品側が同じ言語で受けられる | 映像は現地語、製品の入力は英語のみ |
| 主体の書き方 | 「自社の見立て」として社内資料に残している | 1社の施策を市場全体の方針として書いている |
手元にあるインド向けの動画か広告素材を1本選び、上の4行を当てる。3行以上が右列に寄っていたら、作り直す前に「客のどの場面を見せるか」を1行で書き出す。書けなければ素材ではなく対象の絞り込みが終わっていない。
Campaign Indiaの記事は本文が会員向けのため、見出しと前文のみ確認した。映像の描写と発言はMedianews4uとIndian Television Dot Comで照合している。