インドの移転価格税制|2026年新所得税法と実務対応ガイド

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インド移転価格税制の基本フレームワーク

インドの移転価格(Transfer Pricing: TP)税制は、関連企業間の国際取引が独立企業間価格(Arm’s Length Price: ALP)で行われることを担保するための包括的な規制体系です。インドは世界でもTP調査・紛争が最も活発な国の一つとして知られており、日本企業がインドの子会社・関連会社と取引を行う際には、TP文書化と適正価格の設定が経営上の最重要課題の一つとなっています。

現行の移転価格規制は所得税法1961(Income Tax Act, 1961)の第92A条〜第92F条に規定されていますが、2026年4月1日施行の新所得税法2025(Income Tax Act, 2025)では、これらの規定が第10章に再編・強化されます。約60年ぶりの税法全面改正であり、移転価格分野においても複数の重要な制度変更が含まれています。

新所得税法2025における移転価格関連の主要改正

新所得税法2025は、インドの移転価格制度を現代化し、OECD/BEPSガイダンスとの整合性を強化するものです。日本企業にとって実務的に重要な改正ポイントを解説します。

複数年ALP決定制度の新設

最も注目すべき改正の一つが、複数年ALP決定制度(Multi-Year ALP Determination)の導入です。従来の年次ベースでのALP決定に代わり、類似の国際取引または特定国内取引(SDT: Specified Domestic Transaction)について、3年間のブロック単位でALPを決定できるようになります。具体的には、ある年度に決定されたALPを、その後の2年間の「類似の」取引にも適用できるオプトイン制度です。この制度は2026年4月1日から適用開始となります。

この改正により、納税者の事務負担が大幅に軽減されることが期待されます。特に、取引条件が年度間で大きく変動しない定型的な関連者間取引(例:継続的な原材料供給、ITサービスの提供等)を行う企業にとって、TP文書作成コストの削減と予見可能性の向上という二つのメリットがあります。ただし、「類似の」取引の定義や適用条件の詳細は、今後発出される施行規則で明確化される見込みです。

無形資産の定義拡大

新法第163条(b)は、無形資産取引のフレームワークを大幅に強化しています。従来の特許、商標、著作権に加え、デジタル権利、顧客リスト、産業デザイン、フランチャイズ権、その他の事業上・商業上の権利が移転価格規制の対象として明示されました。これにより、デジタルエコノミーにおける無形資産の移転に対する課税の適正化が図られています。

日本企業への影響として、インド子会社に提供するソフトウェアライセンス、ブランド使用権、ノウハウ、技術情報の移転に対して、より厳格なALP算定と文書化が求められます。特に、マーケティング無形資産(Marketing Intangibles)に関しては、インドの税務当局がインド子会社の広告宣伝活動によって形成された無形資産価値の帰属を積極的に主張する傾向があり、注意が必要です。

文書化義務の強化

OECD/BEPSアクションプラン13に沿った三層構造の文書化要件(マスターファイル、ローカルファイル、国別報告書)が、新法のもとでさらに明確化されました。マスターファイル(グループ全体の事業概要、無形資産、資金活動等を記載)の提出義務は、連結売上高が500クローレ(約90億円)以上のグループに適用されます。国別報告書(CbCR: Country-by-Country Report)は、連結売上高が5,500クローレ(約990億円)以上のグループに提出が義務付けられています。

セーフハーバー規則の最新動向

セーフハーバー規則は、一定の条件を満たす取引について、税務当局が指定する利益率・価格を適用すればTP調査の対象から除外される制度です。納税者にとっては、TP紛争リスクを大幅に低減できる実務的に重要なオプションです。

適用期間と閾値の拡大

セーフハーバー規則の適用は、AY2025-26およびAY2026-27(すなわちFY2024-25およびFY2025-26)の2年間に確認されています。2年連続の延長は、従来の慣行を回復するものであり、セーフハーバーを利用する納税者により大きな計画安定性を提供しています。取引金額の閾値も、従来の20億ルピーから30億ルピーに引き上げられ、より多くの企業がセーフハーバーの恩恵を受けられるようになりました。

対象取引の種類と利益率

セーフハーバーの対象となる主要な取引カテゴリーは、ITおよびITES(IT Enabled Services)の提供、KPO(Knowledge Process Outsourcing)サービス、自動車部品の製造・輸出、グループ内ローン、コーポレートギャランティーです。例えば、ITサービスについては、営業利益率が営業コストの17%〜18%以上であればセーフハーバーが適用されます。2025年の改正では、「コア自動車部品」の定義が拡大され、電気自動車・ハイブリッド車用のリチウムイオン電池が含まれるようになりました。

事前価格合意(APA)制度の活用

事前価格合意(Advance Pricing Agreement: APA)は、移転価格リスクの最も効果的な事前解決手段として、インドで活発に利用されています。

APAの実績と動向

FY2024-25には、インドのCBDT(中央直接税委員会)が過去最多の174件のAPAを締結しました。これには単独APA(UAPA)とバイラテラルAPA(BAPA)64件が含まれ、制度開始以来の年間最多記録となっています。日本企業にとっては、日印租税条約に基づくBAPAの活用が特に有効であり、インドと日本の両国税務当局間の合意により、二重課税のリスクを実質的に排除できます。

APAの適用対象と戦略的活用

APAは、無形資産が関わる複雑な取引、大規模なキャプティブサービスセンター、マーケティング集約型の販売モデル、利益率の変動が大きい受託製造契約など、TPリスクの高い取引に特に有効です。インド進出企業にとって、APA申請は初期費用と時間を要しますが、5年間の価格安定性(延長を含めれば最大9年間)を確保できるメリットは大きいといえます。

日本企業が直面する典型的なTPリスク

日本親会社とインド子会社間の取引において、インド税務当局が特に注視する分野を把握し、事前に対策を講じることが重要です。

ロイヤリティ・技術料

日本の親会社がインド子会社に対して課すロイヤリティや技術料は、最も頻繁にTP調整の対象となる取引類型です。インドの税務当局は、ロイヤリティ率の合理性、技術提供の実態、インド子会社の利益への貢献度を厳格に検証します。特に、独自のマーケティング活動によりインド市場でブランド価値を構築した子会社に対して、親会社がブランド使用料を課す場合、「マーケティング無形資産」の価値帰属が争点となります。

経営管理サービス料

日本の親会社がインド子会社に対して課す経営管理サービス料(Management Service Fee)も、インド税務当局の重点調査対象です。サービスの実態の立証(ベネフィットテスト)、重複サービスの排除、適正な配賦基準の設定が求められます。「株主活動」として日本親会社が自らのために行う活動のコストを子会社に転嫁することは認められません。

グループ内ファイナンス

親子ローンの金利設定は、TPリスクの高い分野の一つです。インドの税務当局は、借入通貨、借入期間、信用リスク、担保の有無等を考慮した独立企業間金利の算定を求めます。セーフハーバー規則では、インドルピー建てローンについてSBI基準金利+一定のスプレッドが基準として示されていますが、外貨建てローンについてはLIBOR(後継のSOFR)+スプレッドが一般的な基準となります。

無形資産の移転

技術やノウハウの移転に伴う対価設定も重要なリスク分野です。新法における無形資産の定義拡大により、従来は明確にTP規制の対象とされていなかったデジタル権利やデータアクセス権なども、ALPの検証対象となる可能性があります。

TP文書化の実務要件

インドのTP文書化要件は、世界的にも厳格な水準にあります。適切な文書を期限内に準備・保管することが、TP調査への最善の防御策となります。

ローカルファイルの必須記載事項

ローカルファイルには、関連者取引の詳細(取引相手、取引内容、取引金額)、ALP算定に使用した方法の選択理由、比較対象取引の選定プロセスと結果、経済分析(ベンチマークスタディ)の詳細、関連者間契約書の写しが含まれます。文書の作成期限は、法人税の申告期限(通常は会計年度終了後6ヶ月以内)までです。

ペナルティ規定

TP文書の未作成・不備に対しては、取引金額の2%のペナルティが課されます。また、TP調整が行われた場合、追加税額に加えて利息が課されます。意図的な過少申告と認定された場合は、さらに重いペナルティが適用される可能性があります。

実務的な対応策と推奨事項

インドビジネスの失敗を避け、TP紛争リスクを最小化するための実務的な推奨事項をまとめます。

第一に、インド進出の初期段階から、移転価格方針を含む税務戦略を策定することです。子会社設立時の資本構成、関連者間取引の価格設定方針、ロイヤリティ率の決定根拠を、事前に整備しておくことが重要です。第二に、APA制度の積極的活用です。特に、ロイヤリティ、経営管理サービス料、グループ内ファイナンスなど、リスクの高い取引については、BAPAの申請を検討すべきです。

第三に、セーフハーバー規則の適用可能性の検討です。IT・ITESサービスや受託製造取引については、セーフハーバーの利用が最もシンプルなリスク軽減策となります。第四に、文化的なギャップを理解した上でのインド税務当局との対話です。インドの税務調査は対面でのヒアリングが中心であり、現地の税務専門家を通じた適切なコミュニケーションが不可欠です。ローカライゼーションされた税務戦略の策定が、長期的なインド事業の成功を支える基盤となります。

情報ソース

この記事を書いた人

大手総合商社にて約8年間、グループ子会社の経営改革や出資先スタートアップとのJV設立を担当。その後インド駐在として、日系大手飲食チェーンのインド展開に従事し、現地に合わせたメニュー開発やマーケティングを推進。

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