インドで人材や技術を確保したい日本企業にとって、「いつ動くか」は出店場所と同じくらい結果を左右する。日本のディープテック特化型VC、ビヨンド ネクスト ベンチャーズ(Beyond Next Ventures、以下BNV)が7月1日からインドのIILM大学キャンパスに専任スタッフを常駐させ、まだ会社すら立ち上げていない学生・研究者を半導体や気候テックの領域で囲い込む取り組みを始める。完成したスタートアップに投資する従来型とは逆に、アイデアが事業になる前の段階から入り込む「上流型」だ。日本企業がインドで人材・技術を取りにいくときの順番を、この一手は問い直している。
BNVがIILM大学に常駐者を置く、という一報
地元紙トリビューン(The Tribune)の報道によると、BNVは7月1日からIILM大学の構内に専任の担当者を1名フルタイムで配置する。対象はAI・半導体・気候テクノロジー・先端製造の各分野で、まだ起業していない学生と教員だ。BNVのインド投資責任者ジェイ・クリシュナン(Jay Krishnan)氏は、「大学・起業家・投資家が早い段階で協働したときにこそ、成功するイノベーション・エコシステムが生まれる」と語っている。
注目すべきは支援の入り口の位置だ。インキュベーターやアクセラレーターの多くは、すでに法人化を済ませたチームを対象にする。BNVのプログラムは「正式に会社を立ち上げる前」の段階から入り、メンタリング・市場検証・体系化された立ち上げ支援を提供する。投資家が自ら大学の中に席を置き、起業の種が芽吹く前から関係を作る設計になっている。
なぜ「設立前」なのか、何が新しいのか
BNVは2006年創業の日本のVCで、インドでは2019年からベンガルールを拠点に活動してきた。インド向けの第1号ファンドの規模は3,000万〜5,000万ドルとされ、AI・ロボティクス・ヘルスケア・気候テック・先端材料といったディープテック領域を投資テーマに掲げる。直近では、AIインフラのスタートアップFinalLayerへの出資を、このインド1号ファンドからの2件目の投資として発表している。
ディープテックは、SaaSのように半年で形になる事業ではない。半導体や新素材、気候関連の技術は、研究室レベルの知見が事業計画に組み変わるまでに時間がかかる。だからこそ、完成品を待っていては有望な人材と技術はすでに他のVCや海外の研究機関に押さえられている。BNVが大学の中に常駐者を置くのは、この時間差を逆手に取り、「投資判断の対象」になる前の段階で関係資本を積み上げるためだ。会社設立前から伴走すれば、創業者の人となりも技術の筋も見極めやすく、競合より早く意思決定できる。
受け入れ側のIILM大学も、工学・理学・経営・法学・リベラルアーツを横断する単位認定型の起業育成科目(venture-building elective)と、学内のイノベーション・ラボにこのプログラムを接続する。IILM大学のプロチャンセラー、アンジャリ・ライ(Anjali Rai)氏は、エネルギー・ヘルスケア・製造・気候といったインドの課題に挑む人材の育成に言及している。なお報道では拠点を「デリー」と記すが、IILM大学はデリー首都圏(NCR)のグレーターノイダ・グルガオンにキャンパスを構えており、本稿では大学名と圏域までを確定情報として扱う。
数字で見る初年度・2年目の目標
BNVとIILM大学が掲げる目標は、関係者の説明として報じられている範囲で整理すると次のとおりだ。いずれも将来計画値であり、達成済みの実績ではない点に注意したい。
| 期間 | 目標 |
|---|---|
| 初年度 | 学生・教員1,000人超に関与 |
| 初年度 | 起業の候補となる100件のベンチャーを特定 |
| 2年間 | 高成長が見込める200件超のベンチャーを発掘・支援 |
1,000人に接触して100件の種を選び、2年で200件超まで広げる。この漏斗(ファネル)の形は、設立後の完成スタートアップを数社選ぶ従来型の投資とはまったく違う。母集団を大学という閉じた場で大量に確保し、そこから時間をかけて選別していく発想だ。
現地の受け止め
大学関係者の間では、投資家が構内に常駐する形そのものを歓迎する声が目立つ。学生にとっては、卒業して就職してから起業を考えるのではなく、在学中から事業化の道筋とVCのネットワークに触れられる点が大きいという受け止めだ。
一方で、設立前の段階で特定のVCと深く結びつくことに慎重な見方もある。早期から1社の投資家と関係を固めると、後の資金調達の選択肢が狭まるのではないかという懸念だ。インドのスタートアップ界隈では、IIT(インド工科大学)やT-Hubのような既存ハブを軸にディープテックの議論が進んでおり、新興大学を起点にした囲い込みがどこまで成果に結びつくかを見守る空気もある。
日系VCの動きとしての関心も高い。クリシュナン氏はインド最大級のスタートアップ拠点T-Hubの創業CEOを務めた経歴を持ち、その人物が日本のファンドのインド投資を率いている点が、現地で本気度の象徴として受け取られている。
日本企業が読み取るべき一手
このニュースの核心は「インドの人材・技術は、完成してから取りにいくのでは遅い」という前提の転換にある。日本企業がインドで開発拠点や調達先を探すとき、すでに名の通ったスタートアップや大学発ベンチャーにアプローチするのが一般的だ。だがその段階では、相手はすでに複数の引き合いを抱えている。
BNVのやり方を自社に置き換えるなら、具体的なアクションはこうなる。まず、自社の事業に近い技術領域(たとえば素材、製造自動化、農業・食品関連の技術)を持つインドの工学系大学・研究室を1校選び、共同研究や課題提供という形で「会社になる前」から関係を持つ。投資ではなく、現場の課題を持ち込んで一緒に解く関係を先に作る。学生インターンの受け入れや、卒業研究のテーマ提供といった軽い接点でも、設立後にゼロから探すより圧倒的に早く深い関係になる。
過去には、日本の中堅メーカーがインドのEMS(電子機器の受託製造)企業と組んで現地生産に踏み込んだ例もある。加賀電子がインドのEMS大手シルマと製造で連携した動きは、完成した取引先を選ぶのではなく、製造能力そのものに早期から食い込む発想という点で、BNVの上流戦略と通じる。1社と深く組むことで、後から来る競合に対する時間的な優位を作る構図だ。
市場への波及
日系VCのインド開拓は、これまで完成したスタートアップへの出資が中心だった。BNVが大学に常駐者を置く方式が成果を出せば、他の日系ファンドや事業会社のCVC(コーポレートベンチャーキャピタル)も「設立前から大学に入り込む」モデルを追随する可能性が高い。インド側の大学にとっても、日本の資金とネットワークを呼び込む新しい窓口になり得る。
食品・農業のような領域でも、この構造は無縁ではない。インドではアグリテックや食品加工技術への関心が高まっており、日本企業が原料調達や加工技術で現地と組む余地は大きい。実際、州政府レベルでの連携も動き出している。日本とアッサム州が経済連携で接近した動きは、企業が単独で動く前に、自治体・大学・投資家が早い段階で握る場が増えていることを示している。マーケティングや販売の現場でも、現地ツールへの早期投資の動きは見られ、MoEngageによるAampe買収のようなインド発の技術統合は、完成を待たずに有望な技術を取り込む潮流の一例といえる。
実用情報・関連リンク
インドの大学・研究機関と早期から関係を作りたい日本企業が、まず確認しておきたい論点を挙げる。
- 技術領域の一致を最優先する。汎用的な産学連携ではなく、自社の事業課題に直結するテーマを持つ研究室を名指しで選ぶ
- 投資・出資の前に、課題提供・共同研究・インターン受け入れといった軽い接点から始める
- デリー首都圏やベンガルールなど、ディープテック人材が集まる圏域の大学を地理で絞り込む
- 現地に常駐または定期訪問できる体制を作り、関係を「窓口任せ」にしない
関連する動きとして、前掲の加賀電子×シルマの製造連携、日本×アッサム州の経済連携、MoEngageの技術買収の各事例も、インドでの早期関係構築を考えるうえで参考になる。
まとめ:自社が組むべき1校を、今のうちに決める
BNVのIILM大学での取り組みが示すのは、インドでの人材・技術確保は「設立前から関係を作った者が有利」という単純な事実だ。日本企業が次に取るべきアクションは明快で、自社の事業領域に最も近い技術を持つインドの大学・研究室を1校特定し、投資ではなく課題提供という軽い形で接点を持つことだ。完成したスタートアップを後から探すより、早く・深く・安く関係資本を積み上げられる。まずは社内で「うちが組むべき1校はどこか」を議論の俎上に載せるところから始めたい。
