コクヨ、ベトナム文具最大手Thien Longを約1.9億ドルで買収――ASEAN文具市場の覇権へ

2026年5月、日本の文具大手コクヨ株式会社がベトナム最大の文具メーカーThien Long Group(TLG)の発行済株式65.01%を約4,700億ドン(約1.9億ドル)で取得すると発表した。コクヨにとって過去最大級の海外買収となるこの案件は、ASEAN文具市場の勢力図を塗り替える動きとして注目を集めている。

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コクヨが仕掛けた2段階買収の全容

コクヨの買収は2段階で実行される。第1段階では、Thien Longの筆頭株主であるThien Long An Thinh(TLAT)から46.82%の株式を取得する。第2段階として、残りの一般株主から18.19%を公開買付け(TOB)で取得し、合計65.01%の支配権を確保する計画だ。

TLATからの株式取得は2026年8月までに完了予定。その後、10月から11月にかけて公開買付けを実施する。買付け価格は1株あたり82,000ドン(約3.35ドル)以上となる見通しで、直近の市場価格64,800ドン(約2.65ドル)に対して約26%のプレミアムが乗る形だ。

買収総額の約276億円は全額コクヨの自己資金で賄われる。外部借入に頼らない姿勢は、この案件に対するコクヨ経営陣の強い確信を示している。

Thien Long Groupとは何者か

Thien Long Groupは1981年、Co Gia Tho氏がペン製造の小さな工房として創業した。以来44年にわたりベトナム国内で「国民的ペン」としての地位を築き上げ、現在はペン市場の約60%を握る圧倒的な存在だ。

項目 内容
正式名称 Thien Long Group Corporation(TLG)
設立 1981年(HOSE上場は2010年)
本社 ベトナム・ホーチミン市
2024年売上高 3,770億ドン(約1,540万ドル)
2024年純利益 460億ドン(約188万ドル)
生産能力 年間8億本(全自動工場2拠点)
国内小売拠点 3,800か所以上
輸出先 約70か国
主要ブランド Thien Long、FlexOffice、Bizner、Colokit

ただし2025年度は9か月時点で売上3,240億ドン、利益376億ドンと減速傾向にある。中国製品との価格競争や国内競合の台頭が背景にあり、この業績悪化がコクヨの買収を受け入れた一因とも分析されている。

コクヨのアジア戦略における位置づけ

コクヨは創業100年超の老舗だが、日本市場の縮小を見据えて海外展開を加速している。現在は日本・中国・インドの3つのコア市場を持つが、ASEANを「第4のコア市場」に育てる中期計画を掲げている。

2030年までに「アジアNo.1の文具ブランド」になるというビジョンの中で、Thien Longが持つ3つの資産が決め手となった。

  • ベトナム国内の3,800超の小売網と70か国への輸出チャネル
  • 年間8億本を生産する2つの全自動工場
  • ASEAN域内での圧倒的なブランド認知

コクヨの「Campus」ブランドはプレミアム帯に強い一方、Thien Longは普及帯が主力。統合により「低価格帯から高価格帯まで」のフルラインナップ体制が完成する。

現地の反応と業界の声

Thien Long経営陣は「現段階では、生産・事業運営に直接的な影響はない」と従業員向けに説明し、当面の人員削減や方針転換はないと強調した。

ベトナム国内の投資家コミュニティでは、1株82,000ドン以上の買付価格に対して「フェアバリュー」との評価が多い。時価総額ベースでの企業価値は約7,200億ドン(約2.94億ドル)と算出されている。

一方、ベトナムのSNS上では「国民的ブランドが外資の手に渡る」ことへの感情的な反発も散見される。かつてのSabeco(ビール大手)やKinh Do(菓子大手)の外資買収時と同様のパターンだ。

証券アナリストの間では「Thien Longの減速は一時的なものではなく構造的な問題。コクヨの経営資源とノウハウが入ることで、製品ポートフォリオの高付加価値化と海外販路の再構築が進む」との見方が主流となっている。

日本企業にとっての意味

この買収は、日本の製造業がASEAN市場に参入する際の「買収型進出」の新たなモデルケースとなる。

ベトナム市場は人口1億人、平均年齢31歳と若く、文具・オフィス用品の需要は拡大基調にある。ベトナムの筆記具市場は2026年時点で約1.16億ドル規模、2033年には1.54億ドルに成長すると予測されている。

日本企業がベトナムでM&Aを検討する際、Thien Longのケースは3つの示唆を与える。

  • 単純な技術移転ではなく、既存のブランドと流通網を丸ごと取得する手法の有効性
  • 業績悪化局面こそ買収のタイミングであること
  • ASEAN全域への展開拠点としてベトナムを活用する地政学的合理性

ベトナムEC市場の急成長ハノイの小売構造転換を考慮すると、オフライン流通網を持つ企業の買収価値は今後さらに高まる可能性がある。

ASEAN文具業界への波及効果

コクヨがThien Longを傘下に収めることで、ASEAN文具市場の競争環境は大きく変わる。

Thien Longは「FlexOffice」ブランドでカンボジア・ミャンマー・ラオスの学校向け文具市場にも浸透しており、コクヨはこの既存チャネルに「Campus」ノートやプレミアム文具を流し込むことができる。

中国のChenguang(晨光文具)やDeli Group(得力集団)はASEAN全域で価格攻勢を仕掛けており、Thien Longの利益率を圧迫してきた。コクヨのR&D力と品質管理体制が加わることで、中国勢に対する差別化が可能になるかが焦点だ。

タイのDouble A、インドネシアのSinar Dunia Makmurなど域内の文具メーカーも、この統合を警戒しているとみられる。コクヨ+Thien Longの連合が「ASEAN製造ハブ」として機能すれば、価格・品質の両面で競合を上回る可能性がある。

中国企業のベトナム進出が加速する中、日本企業による大型買収は「日本ブランド×ベトナム生産」というASEAN戦略の1つの解を示した。

項目 詳細
買収企業 コクヨ株式会社(東証プライム: 7984)
被買収企業 Thien Long Group Corporation(HOSE: TLG)
買収額 約4,700億ドン(約276億円 / 約1.9億ドル)
取得株式比率 65.01%
買付価格 1株82,000ドン以上(市場価格比+26%)
第1段階完了 2026年8月(TLAT株取得)
第2段階完了 2026年10-11月(公開買付け)
資金源 全額自己資金
アドバイザー BDA Partners(Thien Long側)

まとめ

コクヨによるThien Longの買収は、日本の製造業がASEAN市場で主導権を取るための大胆な一手だ。ベトナム国民に44年間愛されてきたブランドの経営権が移転するという点で歴史的な案件であり、統合後のブランド戦略と現地チームの運営が成功の鍵を握る。2026年後半にかけて進む買収手続きと、ASEAN域内での統合効果に注目が集まる。

引用元・参考

この記事を書いた人

大手総合商社にて約8年間、グループ子会社の経営改革や出資先スタートアップとのJV設立を担当。その後インド駐在として、日系大手飲食チェーンのインド展開に従事し、現地に合わせたメニュー開発やマーケティングを推進。

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