インドのIT受託に開発を外注している日本企業にとって、見過ごせない動きが出てきた。Infosysの元CEOであるVishal Sikka氏が、2026年5月末に新会社Hang Ten Systemsを立ち上げ、シードラウンドで3,200万ドルを調達したと2026年6月24日に発表した。狙いは、人を増やすほど工数が積み上がる従来のIT受託モデルを、再利用可能な「AIスキル」とエージェント型のコード生成で置き換えることにある。Sikka氏はInfosysという受託大手を率いた当人だ。その人物が「受託の常識を壊す」と言い出した事実は、印IT各社のサービス内容そのものが数年で変わることを示唆している。発注側がベンダー選定の前提を見直すなら、相手がAIネイティブの納品体制へ移る前の今がそのタイミングになる。
Sikka氏のHang Ten Systemsとは何か
Hang Ten Systemsは、企業向けソフトウェアを継続的に「構築・改修・運用」することを掲げるAIサービス企業だ。中核に置くのが、エージェント型のコード生成と、案件をまたいで使い回せる再利用可能なAIスキル、そして業務ドメインの知見である。一度作った機能やノウハウをスキルとして蓄え、次の案件で組み合わせて使う。これが従来の受託との根本的な違いになる。
創業メンバーには、CTOのNavin Budhiraja氏、チーフデザインオフィサーのSanjay Rajagopalan氏、フォワードデプロイドエンジニアリングを統括するTao Liu氏が名を連ねる。取締役にはYahoo共同創業者のJerry Yang氏が加わった。Sikka氏自身はSAPで12年にわたり企業向けソフトを手がけた後、Infosysの最高経営責任者を2017年まで務め、その後は自身のAI企業VianAIを率いてきた経歴を持つ。
なぜ今、元受託のトップが受託を否定するのか
背景にあるのは、インドIT産業全体で進む「人月ビジネスからの離脱」だ。TCS、Infosys、Wipro、HCLTechといった大手は、数十万人規模の従業員に対してAI活用の社内教育を一斉に進めている。報道ベースでは、Infosysは従業員の多くがAIリテラシーを身につけたとされ、HCLTechは大型のAI関連契約を獲得したと伝えられている。コードを人海戦術で書く時代から、AIにコードを書かせて人は設計・検証・運用に回る時代への移行が、産業の主流になりつつある。
Sikka氏のHang Tenは、その移行を「既存の受託会社の内側からの改善」ではなく「最初からAI前提で組んだ新会社」として仕掛ける点に違いがある。出資をリードしたMayfieldは「従来のサービスは人員に比例してしか拡張しない。Hang Tenはプロジェクトごとにレバレッジが増えるように設計されている」とコメントしている。案件をこなすほど再利用資産が貯まり、次の案件の生産性が上がるという、受託の労働集約性そのものを反転させる発想だ。
調達の規模と顔ぶれ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 調達額 | 3,200万ドル(シードラウンド) |
| リード投資家 | Mayfield |
| 戦略投資家 | Aramco Ventures |
| 取締役 | Jerry Yang(Yahoo共同創業者) |
| 初期顧客(公表分) | Siemens Gamesa Renewable Energy、Fresenius |
| 本社 | 米サンフランシスコ・ベイエリア |
3,200万ドルは、為替を1ドル=約155円(2026年半ばの目安)で換算すると約49億円規模になる。シード段階としては大きく、しかも初期顧客にはドイツの再生可能エネルギー大手Siemens GamesaやヘルスケアのFreseniusという実在の大企業が並ぶ。設立から1か月そこそこで実顧客がついている点は、構想だけでなく納品の実績づくりがすでに動いていることを示す。
受託の現場で起きている反応
発注側・受託側の双方から、温度差のある声が出ている。インドのエンジニアコミュニティでは「コードを書く工数が減るなら、評価される能力は要件定義とレビューに移る」という前向きな受け止めがある一方、「単価×人数で稼ぐ案件が減れば、中堅以下の受託会社は厳しい」という危機感も語られている。
日本の発注企業側でも、品質に対する考え方の違いが論点になりやすい。ほぼ100%の完成度を求めてから着手する日本と、8割の状態で走り出して走りながら直すインド側、という文化差はかねて指摘されてきた。AIで初稿を高速に出せるようになると、この「8割で発車」の流儀はむしろ加速する。発注側が従来どおりの検収プロセスのままだと、納品スピードの恩恵を受けきれない。
大手の側も静観してはいない。TCSやInfosysを含むグローバルなシステムインテグレータは、生成AIのコード生成基盤の導入支援プログラムに認定パートナーとして加わるなど、AIネイティブな提供体制への移行を急いでいる。Sikka氏の新会社は、その流れの先端を新興企業の身軽さで突こうとしている格好だ。
印IT外注を抱える日本企業への示唆
具体的に、いま外注先を抱える企業が取るべき一手を一つに絞るなら、次回の更新・追加発注の見積もり依頼で「AIネイティブ納品なら工数と単価はどう変わるか」を相見積もりに含めることだ。現行ベンダーに従来工数の見積もりを出させる横で、AI前提で再見積もりを取る。両者の差分が、相手のAI移行の本気度をそのまま映す。Hang Tenのような「使うほどレバレッジが増える」設計を打ち出す事業者が出てきた以上、人月単価が据え置きのまま据え置かれる見積もりは、放置すれば割高になっていく。
このとき確認したいのは、再利用資産の所有権だ。AIスキルやエージェントが案件をまたいで再利用されるなら、それで生まれた生産性向上の取り分が誰に帰属するのかを契約で詰めておく必要がある。受託側に蓄積された資産で自社向けの開発が安くなるのか、それとも他社案件に転用されて自社は単価据え置きのままなのか。ここを曖昧にすると、AI化の果実をベンダー側だけが取る構図になりかねない。
市場への波及
Sikka氏の参入が象徴するのは、印ITの競争軸が「どれだけ安く大量に人を出せるか」から「どれだけ賢く資産を再利用できるか」へ移ることだ。これが進むと、発注側にとっての評価基準も変わる。これまでの「ベンダーの稼働人数・拠点規模」中心の選定から、「再利用可能な資産をどれだけ持っているか」「過去案件のスキルを次にどう転用するか」を見る選定へと比重が移る。
日本市場では、TCSやInfosysが現地の高度人材と混成チームを組む形で攻勢を強めており、AI前提の提供体制はこの混成チームの生産性をさらに押し上げる。発注側が旧来の常駐・人月の発想で契約を組み続けると、AIネイティブな競合に乗り換えた同業に対してコスト・速度の両面で差をつけられる恐れがある。
実用情報・関連リンク
インドのテック企業によるAI関連の資本移動と、日本との実務的な接点は同時に進んでいる。あわせて押さえておきたい関連の動きを挙げる。
- マーケティング領域でのAI企業のM&Aの実例として、MoEngageによるAampe買収の動きが参考になる。
- 製造受託の現場で日印が組む具体例としては、加賀電子とSyrma SGSのEMS連携がある。
- 半導体分野での日印接点では、Kaynesの日本市場へのチップ供給の動きも合わせて確認しておきたい。
まとめ:次の発注前に相見積もりへ「AI前提」を一行加える
Sikka氏のHang Ten Systemsは、まだシード調達を終えたばかりの新興企業だ。だが、受託の総本山を率いた人物が「人を増やさず資産を増やす」モデルを掲げて3,200万ドルを集めた事実は、印ITの提供スタイルが切り替わる号砲に近い。外注先を抱える日本企業が今できる具体的な一手は、次の更新・追加開発の見積もり依頼に「AIネイティブで納品する場合の工数・単価・再利用資産の帰属」を一行加え、現行ベンダーに回答させることだ。その回答の歯切れの良さが、そのまま乗り換えるべきか継続すべきかの判断材料になる。相手がAI移行を済ませてから動くより、移行前に条件を握っておくほうが交渉力は高い。
