インドの二大都市を代表する2つのバーが、一夜だけ哲学を交換した。ムンバイ・バンドラの日本着想バー「Idoru(アイドル)」が、ベンガルールにある京都着想のスピークイージー「ZLB23」へ乗り込み、ムンバイ外では初となるゲストシフトを実施したのだ。共通言語は日本式のバーテンディングと、職人的なもてなしの精神。インドの高級飲食市場で日本の酒・バー文化が「ブランドの軸」として機能し始めている流れを、この一件は端的に示している。日本の酒類メーカーや外食ブランドがインド進出を考えるとき、この動きは無視できない手がかりになる。
起点となったニュース:Idoruがベンガルールに乗り込んだ一夜
舞台はThe Leela Palace Bengaluru内のスピークイージー「ZLB23」。ここに、ムンバイ・バンドラのバー「Idoru」のチームが客演し、一夜限りで両店が場所と発想を交換するゲストシフトが行われた。Idoruにとって、ムンバイの外で店を構えるのはこれが初めてだ。
当夜、Idoru側が提供したシグネチャーカクテルは「Enmi」「To Odoroki」「Ikura Opera」、そして定番の「Margarita」。料理はチョコ系ではなく、カリフラワーにランチ・チェルムラ・パーティーミックスを合わせた一皿、Idoru流の「ピザ」、Dashi Mascarpone、Bourdain Sando、Mini Donといった、日本的なうまみと多国籍の発想を掛け合わせたバースナックが並んだ。料理を組み立てたのはIdoruの料理責任者であるChef Nooresha Kably、現地での実行を担ったのはThe Leela側のExecutive Chef Nirav Gadre。ドリンクの提供はIdoruのBar Operations HeadであるRahul Kamathらが担当した。
Idoruの共同創業者Anil Kably氏は、こうしたコラボの位置づけをはっきり言葉にしている。「私たちは(店の)テイクオーバーを宣伝のための行事と捉えたことは一度もない。あれはアイデアを交換する機会だ」。販促ではなく技術と思想の交換だと言い切っている点に、両店が共有する姿勢が表れている。
背景:なぜ「日本着想のバー同士」が選び合ったのか
この組み合わせは偶然ではない。Idoruは、インドでも屈指の日本料理店として知られる「Izumi」を手がけたNooresha & Anil Kably、Neale Murray、Owen Ronconの4人が立ち上げたバーだ。店名のIdoruは日本語の「アイドル」をローマ字化したもので、ウィリアム・ギブスンの同名小説にも由来する。バンドラの目立たない扉の奥、階段を上った先に28席ほどの空間が広がり、パートナーたちの私物レコードを軸にした選曲が場の空気をつくる。バーの設計思想は「甘味・辛味・酸味・うまみ・苦味・塩味」という6つの軸でドリンクを構成する、という明快なものだ。
迎える側のZLB23は、The Leela Palace Bengaluruの中に2023年2月に開いた京都着想のスピークイージーだ。庭の小道を抜け、稼働中のホテル厨房を通り、サービス用エレベーターに乗って初めてたどり着く——という凝った導線で知られる。京都に着想を得た静かで端正な世界観と、ウイスキーやラプサンスーチョン、芳香性ワインを使う「Kyoto Collins」、テキーラに日本酒・白味噌・焼酎を重ねた「Shoyu Ramen」といった、日本の食材・技法を真正面から取り込んだメニューが特徴になっている。
つまり今回のゲストシフトは、「日本のものづくり・もてなし・カクテル技法」という同じ源泉から発想する店同士が、東のムンバイと南のベンガルールという地理を越えて握手したという構図だ。日本ブランドが直接出ていったわけではないのに、日本的な美意識がインドの高級飲食の共通言語になっている——ここに日本企業が見るべき本質がある。
データで見るインド高級バーの実力
この動きが一過性のブームでないことは、国際的な評価の裏付けからも読み取れる。受け入れ側のZLB23は、Asia’s 50 Best Bars 2024で「インド最優秀バー(Best Bar in India)」に選ばれ、2025年版ではランキングを上げて31位に入った(前年の40位から上昇)。五つ星ホテル内のスピークイージーとしてこの評価圏に入っているのはインドで唯一とされる。
さらに、インドのバー全体の底上げも進んでいる。Asia’s 50 Best Bars 2025では、インドから複数店がトップ50入りを果たした。
| 店名 | 都市 | Asia’s 50 Best Bars 2025 順位 |
|---|---|---|
| Lair | ニューデリー | 8位(インド最優秀) |
| Soka | ベンガルール | 28位 |
| ZLB23 | ベンガルール | 31位 |
| Bar Spirit Forward | ベンガルール | 37位 |
ベンガルール勢が複数ランクインしている点は見逃せない。IT都市として知られる同市が、洗練されたバー文化の集積地にもなりつつあるということだ。Idoruが「ムンバイ外で初めて」乗り込む先にベンガルールを選んだのは、この受け皿の厚みがあってこそだろう。
業界の受け止め
現地のバー業界では、こうした店同士のゲストシフト(テイクオーバー)が、単なる集客イベントから「技術交換の場」へと意味づけを変えつつある。Idoruの共同創業者が「宣伝ではなくアイデアの交換」と明言したのは、その潮流を象徴する発言として受け止められている。
飲食メディアの論調を見ても、ZLB23のようなインドのバーは「精緻で、デザインを意識し、自信を深めている」とされ、地域の舞台でインドのカクテルシーンがどう立ち位置を取るかを定義する存在として語られている。日本食レストランIzumi発のチームがバー領域でも評価を確立し、ホテル発のZLB23が国際ランキングで存在感を増す——作り手側もメディア側も、日本的な世界観を「格上げの記号」として扱っている空気がある。
もう一点、現地で注目されているのが「ホテル×独立系バー」の越境だ。ホテル内バーであるZLB23が、街場の独立系バーIdoruを招き入れた今回の構図は、五つ星ホテルが外部の尖ったブランドと組んで話題と専門性を取りに行く、という新しい協業の形を示している。
日本企業への示唆:単品輸出ではなく「世界観の供給者」になる
ここからが、インド進出を考える日本企業にとっての具体的な読みどころだ。今回の一件が教えるのは、インドの高級飲食市場では「日本の酒・食材そのもの」よりも先に、「日本的な世界観・哲学」が価値として流通し始めているという点である。日本酒・焼酎・ウイスキー・抹茶・出汁・味噌といった素材は、すでにインドのトップ層のバーでカクテルの構成要素として使われている。
仮に日本の酒類メーカーがインドに参入するなら、ボトルを置いてもらう発想だけでは弱い。狙うべきは、ZLB23やIdoruのような評価の高い店と組み、自社の素材を使った定番カクテルを一品共同開発するという1社1アクションだ。これなら大規模な現地法人や流通網を一気に整えなくても、ブランドの信頼を「店の評価」に乗せて広げられる。Idoruが販促ではなく技術交換としてゲストシフトを設計したのと同じ論理で、日本側も「素材提供+技法の共同開発」という形なら、現地の作り手から歓迎されやすい。
こうした越境コラボの実際の手応えは、ムンバイのナイトライフや日本式の飲み方がインドでどう受け止められているかを追ったムンバイの高級ナイトライフ動向のレポートや、現地で日本的な「飲み会」とハイボール文化がどう浸透し始めているかを見たハイボール・飲み会カルチャーの広がりに関する考察と合わせて読むと、点ではなく流れとして掴める。
食品OEM分野への波及
影響は酒類だけにとどまらない。とくに応用が利くのが食品OEMだ。インドの高級ホテル・バーが求めるのは大量生産品ではなく、物語性のある少量・高品質な素材だ。日本の食品メーカーが「インドの一流店の一皿に採用される素材」という実績を一つ作れれば、それ自体が他のB2B商談で効く看板になる。先行事例として、ムンバイ・コラバの高級店シーンの広がりを追ったコラバの高級飲食トレンドの分析も参考になる。
実用情報・関連リンク
今回のゲストシフトの会場ZLB23は、The Leela Palace Bengaluru内のスピークイージーで、ホテル経由でのアクセスが前提となる予約制の店だ。Idoruはムンバイ・バンドラに拠点を構える独立系バー。インドの高級飲食市場の動きを継続的に追いたい場合は、本サイトの以下の記事が起点になる。
まとめ:まず一流店との「一品共同開発」から始める
IdoruとZLB23のゲストシフトが示したのは、インドの高級飲食市場が日本的な世界観を進んで取り込み、それを店の格の源泉にしているという事実だ。日本の酒類・食品・工芸メーカーがこの流れに乗るなら、いきなり全国流通を狙うのではなく、Asia’s 50 Best Bars入りするようなインドの一流店を1店選び、自社素材を使った定番メニューを一品共同開発するところから着手したい。販促ではなく技術と思想の交換として持ちかければ、現地の作り手は組んでくれる可能性が高い。一店舗での採用実績を一つ作り、それを次の商談の看板に育てる——これが、この一夜のニュースから引き出せる最も現実的な次の一手だ。
